2017年12月26日火曜日

グルノーブルその日暮らし

 はじめまして、今年9月よりグルノーブルに留学している伊澤拓人と申します。これから私がフランスに来てからの出来事やなにかを、書いていこうと思います。


 はや今学期も終わろうとしており、フランス中の交換留学生が、時がたつのは本当に早いなどと分かりきったことをお互い確認しつつ、内心焦り始めているのではないかと思います。当然、私もその一人であります。12月ともなれば、山に囲まれたこの街は本当に寒く毎夜の冷え込みは零下に達し、そんなときの慰めといえば、携帯でマルセイユの天気予報をみながら、うららかな日和に坂の上から地中海を眺める自分を想像することくらいしかありません。



とはいえ部屋に籠りつづけるわけにもいきませんから、心を決めて大学へ行く準備を始めます。外出の際には万全の態勢を整えなければなりません。まず日本から持ってきたヒートテック。日本人の友人にはゴクダンなる装備を有しているものがいますが、私にはそのようなゴクダンの装備がなく、ユニクロがグルノーブルにないことを恨めしく思います。そして足首まであるブーツ。こちらで購入したものです。フランスではよりお求めやすく、種類も豊富に思います。驚いたのは、日本で冬にはいていた靴では、つま先の冷えに耐えられなくなってしまったことです。冬は下からやってきます。そしてそして、持ち合わせる中で最強のダウン、さらにマフラー、ニット帽、手袋までつければ、外気に触れるのは顔だけで済むという寸法です。
そんな頼りがいのあるアイテムたちとともに漸く寮から一歩外に出でて、その日がもしも折よく晴れていたならば、見上げた遠くから素晴らしい景色が私を迎えてくれます。百聞は一見に如かずですから、私のつたない描写より、写真を見ていただきましょう。




アルプスが近いこの地域は山々が非常に急峻であり、やまがちの日本といえども(いちおうの)都会にこの距離から岩が覆いかぶさる光景を見ることはできないように思います。切り立っていて標高も高いため木々が少なく、剥き出しの岩肌が神々しささえ感じさせます。

そんな風景を楽しみつつ大学へ向かいます。私が住んでいる寮は広大な大学の敷地の一角にあり、私の所属するARSH(芸術と人間科学部)の建物まで20分かけて歩くこともできるのですが、如何せん寒いのでトラムに甘んじています。先月までは信じられないほど薄着をしている人たちによく驚かされましたが、近ごろぱったりと見かけなくなりました。彼らと少なくともこの気候だけは共有できているのだと感じます。

私はこの大学で歴史学科に属し、歴史学、美術史、哲学などの授業を受けています。週に6コマほどで、最初の学期ということもあって履修の量は少なめです。講義についてはまたいずれ詳しく書くこともあろうと思うので今回は割愛します。
                                                                                                                   
授業が終わると、何も予定のない日はまたトラムで帰宅します。帰りついたらブーツを脱ぎながら、夜ご飯について考えます。
夕食は寮の共用キッチンでつくります。大小2つの電熱器が4セットあり、これを同じ階に住む40人程で共有しています。日本でも一人暮らしが長く自炊に慣れているとはいえ、炊飯器も電子レンジもないなか毎食きちんと作るのは至難の業です。おまけに電熱器は常時4つのうち1つは故障しており、動いているものも、熱くなる部分をじかにフライパンとして使っているのではないかと思うほど汚いことがしばしば。おまけにパスタを水に流して捨ててもよい国から来たと思われる住人のせいで、流しが詰まって池のようになっていることもあります。そんなときは週に一度の掃除が入る火曜日を心待ちにしつつ、自分の部屋の洗面所で食器を洗います。


料理の時間は一日の中でも友人たちと話せる貴重な時間となります。寮は国際色豊かで、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語が主に飛び交っています。私は特に同じ階のカザフスタン人とエジプト人と懇意になり、キッチンで会うと前者とはフランス語、後者とは英語で話をします。あるとき三人で夕食をとっていると、突然二人が立ち上がりどこかへ行こうとしました。何?と聞いて帰ってきた言葉が聞き取れず自分もついていこうとすると、お前は来なくていいと笑いながら言います。実はこの二人はムスリムで、このときちょうど祈りの時間だったのです。残された私はひとり食べ続けるわけにもいかず待っていると、しばらくして彼らは帰ってきて何事もなかったかのように食事を再開したのでした。スルタンという名のカザフ人はプログラミングの勉強をしている修士の学生で、この夏から始めたとは思えないほどフランス語を話します。私がよく酒を飲みに出かけるので、アルコールを一切とらない彼は毎日パーティーかよと馬鹿にしてきますが、あるときには恋人という存在が自分のモチベーションのためにどれだけ必要かを熱く語ってくれたのでした。エジプト人のカリムは地震を研究しているそうで、日本への留学も考えていると話していました。彼は本当に「いい人」で、物腰柔らかく私のつたない英語も真摯に聴こうとしてくれるうえに、ときどきお菓子をくれて私を喜ばせます。他には、機をみてはこそこそと部屋で弾いている私のヴァイオリンをとても深く良い声でほめてくれるドイツ人や、信じられないほど日本の文学に造詣の深い中国人とも、会えば話をする間柄です。


食事に話を戻しましょう。普段あまり長い時間キッチンに立つのが疎ましいときは、パスタをつくります。パスタソースは出来合いのおいしいものがとても安価に売っているので、そこにありあわせの野菜や肉を適当に追加して、ボロネーゼ風ではあるが名状のしがたい料理を作っては食べています。他の住人も似たようなものですが、なかには肉の600gはあろうかと思われる巨塊を厚めに切って、ステーキを焼いている筋骨隆々の人も散見されます。時間に余裕があれば、鍋でご飯を炊いて和風の料理を作ることもよくあります。調味料や米は、アジアンマーケットで少し高いものの日本と遜色ない商品を手に入れることができ、野菜や肉などは大型スーパーで量り売りのものを買います。冷凍庫がないため買いだめは難しいのですが、寮からスーパーまでとても近く週に数度の買い物は苦になりません。そこにはもちろんワインやチーズ、ハムなど信じられないほど安くおいしいものが売っています。私の最近のお気に入りは、ワインやベルギービールとチーズ、それにソシソン(サラミの様なドライソーセージ)を収穫して、ひとり楽しむことです。ときには日本の居酒屋、日本酒、おつまみが懐かしくもなりますが、こちらではこちらの流儀に従うのが最も経済的なことは言うまでもありません。



幸い友人に恵まれ、孤独に苛まれることも週末に暇をもてあそぶこともあまりなく、日曜はあらゆる店が閉まっていてやることがないという苦労話はいまやなつかしいクリシェとなっています。旅行が始まる今週末を心待ちにしつつ、お別れです。私の、何の役に立つかもわからない駄文に付き合ってくださった方、ありがとうございました。
では。