2014年3月1日土曜日

私がフランスにきた理由

パリ第三大学に通っている城島未来です。

2月も終わりかけ、あっという間にフランスでの半年が経とうとしています。

今日は、なぜ私が大学を休学し、この地で留学を決めたかという

ちょっとしたストーリーをお話しようと思います。

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恩返しがしたい・言葉の可能性

小学3年生の頃、

突然告げられた父の赴任先は南アフリカ共和国という異国でした。

私は2年3ヶ月の間そこで暮らし、首都ヨハネスブルクの現地校に通うこととなります。

南アフリカはおよそ二十年前まで、肌の色で人を差別するアパルトヘイトという人種隔離

政策が行われていた国です。今では人種差別はなくなりましたが、人口の八割をしめる黒

人の多くはまだ貧しく、国内の経済格差が世界で最も大きい国のひとつと言われていま

す。

日本にいると、「生きていること」は当たり前のように感じます。

でも、小学3年生の私にも、アフリカでは「死」が私のすぐそばにあり、

その分、「生きていること」がものすごく価値あることとして強烈に意識されていたこと

を覚えています。

多種多様な人種、宗教、文化、言語、価値観が入り混じる国、南アフリカ。

「虹の国(rainbow nation)」と別名を持つこの特別な国で幼少期を暮らしたことで、様

々な立場から複合的にものを見る視点、一番弱い人の視点からものごとを想像することを

強く意識するようになりました。

そしてその中で、自分が一生かけて考え感じていくような物事の観点、経験を9歳の私に

与えてくれたこの国に、そして沢山の愛を与えてくれたこの国の人に、

いつか恩返しがしたいと漠然と感じるようになりました。

また、南アフリカでは英語のほかに11の公用語があります。

授業は英語ですが、その他にもアフリカーンス語とズールー語も須言語として授業で習い

ました。

はじめのころは、授業についていくなんてもってのほか。

友達すらいない。

英語を全く知らないまま現地校に放り込まれた初日、

なんとか席に座って一日を過ごしたと思っていると、クラスの皆が一斉に何かを唱え、席

を立ち教室を出て行きました。

今思い返すと、あれは終礼だったのですが。

生徒たちが全員帰ってしまった教室で、なにが起きたか分からなかった私は、

ずいぶんと長い間 取り残された教室にぽつんと立っていました。

その時の不安、孤独、泣きたくて目頭が熱くなる感覚を、私は一生忘れることはないと思

いました。

それから何も考えずにひたすら周りの子供たちの話す言葉の真似をしました。

恥も捨てて、となりの子にお願いしてノートを丸写ししました。

この国の子が好きなものをいっしょに食べ、ゲームを遊びました。

どれだけ私が喋れなくても、周りの子と違っても、クラスメートと先生たちは私を諦めま

せんでした。身振り手振りで私と会話をし、発音が上手くなれば心から喜んでくれまし

た。

そんな周りの支えのお陰で、2年経ち、何も苦労することがなく英語が話せる様になりま

した。

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(ヨハネスブルグの小学校にて、クラスメイトたちと。)

友達とも自分の言いたいことがきちんと伝えられる。心からの会話を、人種や国籍、肌の

色が違っても、大切なひとと出来る。もとから人が大好きな私は、相手の口から出る言葉

に耳を傾け、自分は、自分の心から選んだ言葉でその人に自分のことを知ってもらうこ

と、またその人を深く知ることのできる、「語学」というものの可能性をつよく信じるよ

うになりました。

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武器と勘

そして大学に入った頃、自分に自信の持てなかった私は

自分に何かひとつ目に見えるような「武器」がほしい

と思うようになりました。

リーダーシップを磨く、資格を取る、学業をとことん追求する、色々な方法があったかも

しれません。でも、将来のビジョンがまだぼやけきっている私でも、一番自分のしたいこ

と、いま、自分のこれからの可能性を広げてくれる武器はどれだろう。と考えた時に、こ

れしかないと思ったのが語学でした。

(また、昨年TICAD V・第五回アフリカ開発会議  学生プロジェクトのお手伝いをしてい

た頃、「フランス語」のプレゼンスを強く意識させられたことも背中を押してくれる大き

なきっかけとなります。)

しかし、こうして立派な言葉を並べている城島ですが、

テキストに向かって文法を黙々と勉強することが

どうしても どーーーーうしても

出来ませんでした。それはもう驚きの出来なさ。(そう、頭が弱い!)

その時、ふと南アフリカで無責任な親のもと

現地校に放り込まれた頃の自分を思い出しました。

「うーん、行っちゃえば早いんじゃない!」

そう思い立ち、

半年後にはパリの女子寮で朝を迎えていました。(やっぱり頭弱い!!)

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私には、やはりはっきりとした将来の具体的なビジョン、

留学への崇高な目標もお話することができません。

でも、私は、自分の

直感と、コンプレックス、可能性

を追ってここまで来たのだと思います。

フランスに飛び立とうとしている読者の方のなかで、

「提出用の志望理由書」に書けた文章があったとしても、

心の中で

「本当は何がしたいんだろう」

「これが将来何に繋がるんだろう」

と感じ探している方は、絶対に、絶対に少なくないはずです。

私の周りを見ていてもそう感じます。

そして、周りから「留学すごいね」「さすがだね。」と言われ、プライドを持たずにはい

られない環境にある人ほど、なかなか「本当は何もないのに」と周りに言い出すことがで

きないことがあると思います。

でも、それで当たり前なのではないでしょうか。

しっかりレールをひいてそれに沿ってこなしている人のほうが、少ないことを知って下さ

い。焦らないで下さい。

自分の直感を信じて来たというのなら、それはランダムなものではないのではないでし

ょうか。今まで自分が見てきたもの、考えてきたもの、学んできたもの、蓄えてきたもの

の上にある。偶然ではなくその経験たちが自分の方向を導いてくれているのだと思いま

す。

私はフランスで完璧なゴールや目標がなくても、

ここで最大限の力でやれることをやりきれば、それが何かは分からなくても

おのずとチャンスは巡ってくると信じています。

今、行きたい!と少しでも感じていて、

その道が開けているのならば、ぜひ歩き出してみてください。

きっと、人生の面白いことに繋がっていくと思います。

さて!南アフリカの話が長くなってしまいましたが、

次回はさくっと

フランスの「気づくと面白い」文化について書きたいと思います。

それでは!(城島)

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(凱旋門から見える冬のパリ。撮影2014/12/20)

 

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(フランスの学生たちと旅行したReimsにて。撮影2014/02/15)

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